言葉と運動 小原奈実作品へのノート

1.

 書かれた言葉は、かつて書かれていた頃の手指の運動を離れ、いまは紙や画面といった空間に固着し、静止している。目がその上を動き、情報群の処理を通じて/とともに脳の神経群が励起され、論理的推論を行ったり、美しいと感じたり、あるいはもしかしたら何か触感を得たり、そこに色彩を見たりする。その過程で、言葉はある空間的条件のなかに安置されながら、ときに「運動」し始めたり、「生き」始めたりすることがある。
 絵画や彫像もまた、空間的に安置されているにもかかわらず、ときに「運動」し、「生き」てあるかのように感覚される表現だ。安本亀八の「相撲生人形」(1890年)の苛烈なリアリズムは、その「生(いき)」という措辞が空疎でない表現が存在することを教えてくれる。あるいは唐草文様のような装飾もまた、リアリズムとは異なる仕方で知覚にリズムを作り、なにか「運動」を構築し始める。
 静止しているにもかかわらず、「運動」がそこにある――これ自体は恐らく特異な現象ではない。たとえば襲い掛かろうと/逃げ出そうとする動物の、筋肉を緊張させた姿や、そこを降りている最中に滑落するかもしれない、崩れそうな岩肌などから得られる視覚情報は、運動知覚を司る脳のV5/MT野をすでに励起させて、「運動」を予感させているかもしれない。少なくとも、静止してあるものから「運動」(の予感)を得るという経験は、日常的にもあるようだ。
 このことを確認しつつ、この時点ですでに「運動」という語の外延にばらつきが出始めていることに気づく。安本亀八のような「運動」を構築するためには、並大抵でない職人の技術が必要とされるだろう。一方で、装飾模様が半ば自動的に構築する「運動」は、そのパターンをなぞりさえすれば、恐らく万人が反復しうるものだ。「運動」が、「運動」を予感させる諸要素から無償で十全に得られるものなのであれば(たとえば「犬が歩いている」とさえ書けば、犬の歩行の運動性が十全に得られるようなことがありうるのであれば)、ディズニー・アニメーションが「生命を吹き込む魔法」に多大な努力を払う必要はなかっただろうし、リアリズムという言葉も空疎なものになってしまうだろう。
 別の角度から記述するならば、完全な「静止」や「死」に結びつけられる作品もまた稀ということなのだろう。空間芸術と時間芸術とを区分したレッシングの『ラオコーン』が、空間芸術に紐づけた「瞬間」もまた、「含蓄ある瞬間」という前後の時間を包含する概念だったことを、ここで思い出しておくべきなのかもしれない。作品はほとんどの場合、完全に静止しているわけでもなければ、その運動が強く感覚されるわけでもなく、運動がないわけではない、くらいの状態にある。
 また、「運動」と「生命」が隣接するもののようにここまで書き進めているが、当然これらは区別されうる概念でもある。「運動」があっても「生命」が感じられない表現、それはたとえば機械になぞらえられるかもしれないが、しかし機械のような運動を行う生物も存在する。「生命」ではあるが「運動」は感じられない表現、それはたとえばストロマトライトのような生物になぞらえられるかもしれないが、しかしそのような表現が具体的にどういう様態を持つのかは今のところ私の想像の埒外にある。また、両概念の系譜と議論の蓄積を辿り、そこにいかなる交通が成立しうるのか提示することは、恐らく義務に近いのだろうが、今の私の力ではそれを書くことが、残念ながら、できない。この、できない、ということを書くまでに、長い月日がかかった。*1

2.

 小原奈実の短歌作品を読むとき、私がそのたびごとに受け直している衝撃にも似た「運動」のイメージは、「歩いている」と書けば歩行のイメージが無償で得られるような「運動」とは恐らく異なり(無縁ではないだろうが)、そしてまた、それが言葉を通じて得られる以上、歩いている姿そのものを見る経験、その再現と同一化されるものでもない。

  カーテンに鳥の影はやし速かりしのちつくづくと白きカーテン 小原奈実「あのあたり」『短歌』2010年11月号*2
  駿足のごとくレモンの香りたち闇のふかみへ闇退りたり 「鳥の宴」『穀物』創刊号 ※退(すさ)
  奔りきてもみぢつらぬく一瞬をひかりなりにしひとに問はばや 「光の人」『本郷短歌』第4号

 なぜこれらの言葉に出会ったとき私の脳は興奮したのだろう。
 一首目の、初句から二句にかけての「カーテンに鳥の影はやし」には、二句目の字余りと、初句の助詞「に」の選択という修辞がある。二句目の字余りは、カーテンの領域をはみだしてゆく鳥の影の形それ自体を音の余りかたに形象化しているような印象を私に与える。一句目では移動・通過を示す助詞「を」ではなく位置を示す助詞「に」が選ばれてあることで、この作品が通過する鳥の軌跡について語ろうとしているというより、カーテンに鳥の影の像が結ばれてあること、それを見止めたこと、その瞬間から語りだそうとしているように思える。「カーテンを鳥の影はやし」であれば、鳥の影の通過するイメージはさらに前景化し、カーテンはその背景へ下がろうとしないだろうか。「に」からは、カーテンと鳥の影がともにひとつの平面を構築するようなイメージが促されてはいないだろうか。そのためか、「カーテンを鳥の影はやし」より「カーテンに鳥の影はやし」の方が、私には影とカーテンの色彩のコントラストが際立つように思われる。そのコントラストの中で、鮮明な輪郭を保って「はやし」と知覚される鳥の影は、すぐさま「速かりし」という言葉によって過去へとほどかれるが、「はや」という音の残響は鳥の影の形の残像を保たせ、直接過去の助動詞「し」は、カーテンに「はやし」の印象を滲ませるようだ。
 そして、作品は下の句で「のちつくづくと白きカーテン」と、カーテンの「白」が(再)発見される知覚に至って閉じる。この作品の知覚の変容は、以上のような助詞、助動詞、形容詞の反復、字余り、音や時制のずらしなどによって主には構築されている。これらの修辞は、主体のその時々の内的な知覚の様態を示唆するが、同時にこれらの言葉はカーテンを鳥の影が通りすぎていくという作品世界の外的な空間の出来事そのものを構築する要素でもある。内的な感覚と外的な空間の出来事は、語数の限られた短詩では必然的に連動し始める。この連動をほどくための様々な文体が、子規以降の写生や近年の口語短歌の中で試みられてきたように思うが(主に文語のいくつかの助詞や助動詞の峻拒とともに)、小原の作品ではこの連動自体をさらに主題化するかのように、内的な感覚と外的な空間との境界を巡るモチーフが多用される。

  つめたさよ 青磁のあをのみなもとと抱かれて骨満つるからだと 「光の人」
  生きながら軀は黴ぶることありとけさ青天を肺へ沈めつ 「野の鳥」『穀物』第2号
  海みればそのたび海に浸さるる感官を、したたれるよろこびを 「小窓」『文藝春秋』2016年新年特別号

 その前に「駿足のごとく」「奔りきてもみぢつらぬく」の作品についても見なければならない。

3.

 二首目の上の句「駿足のごとくレモンの香りたち」は、レモンの香りの知覚とともに、「駿足のごとく」という修辞によって、その香りが渡っていく速度とともに、香りが渡る空間の広がりを予告している。この空間の広がりのイメージを借りる形で、「闇のふかみへ闇退りたり」という空間の重層化はなされるのだろう。
 三首目の初句と二句「奔りきてもみぢつらぬく」は、複合動詞および動詞によって運動を重層的に表現している。また、「きて」「もみぢ」「つらぬく」と仮名を連続させるこの表記は、この運動が周囲の「もみぢ」とも一体であるかのように私に印象させる。この運動の一体性という印象は、三句目「一瞬を」で重層化されてあった運動をひとつの時空間に折り畳む所作や、四句目「ひかりなりにし」で、その畳まれた時空間において「ひかり」そのものにまで一連の運動と対象を縮約させる感覚が生起することからも、遡行的に強められるようだ。
 レモンの香りの知覚とともに空間が重層化されること。紅葉を駆け抜ける運動を「一瞬」の時空間に折り畳むこと、そこで「ひかり」という縮約された知覚が誕生すること。知覚と空間がその語数の条件下により短詩の中で引き合わされること自体は、バークリー的な認識論ともまず関係なく、ただ知覚を示す語彙も空間を示す語彙も分かちがたく肩を接する他なく、そして読む側も――短詩は短いため――その近さを受けとめる猶予があり、実際、それを受けとめるような読みが涵養されてきたという、言葉の住環境のためなのだろう。だが、先述したように、小原の作品はその短詩のスペシフィティとも言いうる部分を、短詩が自動的に達成する性質として甘受するのではなく、以上のような修辞をもって自らの方法論として引き受け直しているように思われる。
 このような小原の作品における修辞は、語彙の「折り重ね」によって特徴づけられることが多い。それは、「はやし速かりし」「闇のふかみへ闇」といった同一の語彙の反復、複合動詞や動名詞、動詞の連続する使用、情報の重複する語彙による名詞の言い換え、軽いものとしては「その」のような指示詞などがあると考えられるが、これらはいずれも語彙の持つイメージを自らに「折り重ね」、視線をそこに停滞させるような効果を生むのではないだろうか。
 どういうことか。再び作品を見ていこう。

  てのひらのくぼみに沿ひしガラス器を落とせるわが手かたちうしなふ 「あのあたり」

 この作品は「てのひらのくぼみ」「わが手かたち」と、それぞれ「くぼみ」「かたち」といった形状を示す語彙に、「てのひら」「手」の形象を媒介させている。そして「てのひらのくぼみ」はガラス器に修飾し、そのガラス器が修飾を引き連れながら「わが手」へと修飾するという仕方で、非可逆的な修飾関係の重りを下方へ導きながら、語彙は前半と後半で差異を含みつつも反復される。*3
 「くぼみ」「かたち」といった語彙は、「てのひら」「手」の形象をより詳しく記述しているわけではない。「てのひらに沿ひしガラス器」でも恐らく結ばれる視覚イメージに大きな差はないし、「かたち」は「手」が(手に限らずだが)本来的に含んでいる情報、イメージである。しかし、読む者はこれを「より詳しい記述」のように感覚できるのではないだろうか。「てのひらに沿ひしガラス器」ではなく、「てのひらのくぼみに沿ひしガラス器」で生まれるこの差は、視覚イメージにないのだとすれば、一体どこにあるのか。
 ある名詞をその部分的要素によって言い換える、小原の作品にたびたび見られるこの修辞は、ある視覚イメージに注がれるまなざしをそこに長く滞在させようとするのではないだろうか。それは、端的に「てのひらに沿ひしガラス器」よりも「てのひらのくぼみに沿ひしガラス器」の方が音数が長いということも関係するのだろうが、「くぼみ」が「てのひら」がすでに持っている視覚イメージをなぞる、ある程度重複した情報であるということも寄与しているように思われる。たとえば、「葉のごときてのひらに沿ふガラス器」などと、「てのひら」が本来的には持たない「葉」のようなイメージを付与したとき、音数は伸びてもまなざしは「葉」にも移ろい、「てのひら」に留まらない。「くぼみ」は、異なるイメージによって加算的に視覚イメージを彩るのではなく、視覚イメージに注がれるまなざしをただその場に留めようとする。つまり、「くぼみ」が演出しているのは、視覚イメージの詳細な姿ではなく、むしろ視覚イメージをつぶさに見ようとするまなざしの運動の方である。
 ある視覚イメージにあえて留まろうとするまなざし。それは情報を加算していく方法からは導かれない。三十一音という音数の中で、情報をなるべく増やさずに、ある語彙が持つイメージの上に重複するイメージを重ね、重層的なイメージの襞を築きあげる結果からしか生じない。このような「折り重ね」の方法意識に沿った修辞が、恐らく小原の作品における「運動」を構成している。

4.

 「折り重ね」について、たとえば動詞を連続させて用いる以下のような作品も見ておきたい。

  なだれゐるしぶきゐる萩を愛せむに軀ごとそのただなかへゆく 「野の鳥」

 「なだれゐる/しぶきゐる」は萩のひとつの姿をふたつの動詞で表現するものだ。萩というひとつの植物に流れる時間を、ふたつの動詞が並列化し、複数の時間を呼び込んでいる。そして、主体もまた「なだれゐる」「しぶきゐる」に近しい運動体として「軀ごとそのただなかへゆく」のであり、萩はここでは時間と存在の複数性が渦巻くトポスとして一首の中心に配置されている。
 たとえば、この作品を「しぶきのごとくなだれゐる萩」などと単一の時間に整流させるとき、「なだれゐるしぶきゐる萩」のどこか重たい、停滞するような感覚は軽減されるように思われる。これは、先ほどの議論から敷衍させるのであれば、「なだれゐる」も「しぶきゐる」も、それが提示する萩の視覚イメージに大きな差はなく、ともに萩の花が一斉にしだれているその姿を表現するものだろうが、それが重ねられることで、萩の姿に注がれるまなざしの時間が演出されるのであり、「しぶきのごとく」ではその重なりが緩むということなのだろう。
 あるいはこのような言い方も許されるだろうか。萩は、まずひとつの形象を持って存在しているはずであり、「なだれゐる」姿と「しぶきゐる」姿が(シュレーディンガーの猫のような)重ね合わせの状態になって存在しているわけではない。だが、「なだれゐるしぶきゐる萩」という表現は、ある種その重ね合わせの状態に近いイメージへ導こうとしているのではないだろうか。萩はあるときは「なだれゐる」ようで、あるときは「しぶきゐる」ようである、と語ろうとしているわけではない。また、萩のこの部分の形象は「なだれゐる」ようだが、別の部分は「しぶきゐる」ようである、と語ろうとしているわけでもなく、ともに、萩のそれ自体がひとつの混然とした姿へ宛てられた修辞のはずだ。この二重化された萩の視覚イメージを読み、受け入れるとき、同時にこの萩を二重化させている当のまなざしをも読む者は受け入れており、ここにおいて読むという言語経験はイメージの経験そのものとなる。
 自らの上にイメージを重ねるようなイメージの襞を、まなざしは通過し、それを経験する。エクリチュールを読む、でなく、エクリチュールを経験する――恐らく、小原の作品はそのような語法が可能なあり方をしている。言い方を変えよう。小原の作品は、作品に先行する現実の諸相を丁寧にデッサンした結果を提示しているわけではない。その作品は、むしろある現実が知覚のうちに生成していくプロセスそのものの作品化であり、その作品内部に示されるプロセスに従って読者に生成される知覚それ自体もまた、現実と同じ強度を持つ。この点で、小原の作品はミメーシスの問題の圏域に含まれない。小原の作品は現実の表象ではなく、表象という現実の一形態であり、作品が「運動」し、「生き」ているということは、そもそもこういうことなのだ、恐らく。
 その他、「折り重ね」の具体例を確認していこう。あるものが本来的に持っている要素による再帰的な言い換えの例としては、たとえば以下のような作品が見られる。

  わが過ぎし空間に陽がなだれこむ振り返らざる朝の坂道 「あのあたり」
  切り終へて包丁の刃の水平を見る眼の薄き水なみだちぬ 同
  色彩は窓に濡れつつ降りやまぬきのふの雨の奥の山吹 「有つ」『短歌』2018年6月号
  天球の朝かがやきはくだりきて像となりぬ雪に鶺鴒 「星ふるふ」『ねむらない樹』vol.2 ※像(かたち)

 の「空間」や「水平」、「色彩」、「像」といったやや抽象度の高い語彙による名詞の言い換えは、小原の作品に多く確認できる。「短詩は語数が限られてあるのだから、語数の節約のためにも情報の重複はなるべく避けるべきである」という(恐らくはありうるであろう)方法を採るときには、「空間」は「坂道」に、「水平」は「刃」に、「色彩」は「山吹」に、「像」は「鶺鴒」に、それぞれ回収され、省略されうるだろう。また、たとえば以下の、

  注がれてほそくなる水天空のひかり静かに身をよぢりつつ 「結晶格子」『短歌』2009年11月号
  飲食はふかしぎの滝淵ふかく投ぐるたび身は濡れてながらふ 「蘂と顔」『詩客』2012年6月8日号 ※飲食(おんじき)
  雲の上の空深くあるゆふぐれにひとはみづからの時を汲む井戸 「時を汲む」『本郷短歌』第3号
  皮膚すこしあざみに破り冬の野の生きて渇けるなかへ入りゆく 「錫の光」『穀物』第3号
  湧泉のごとくおのれを脱ぎつくす花の朝の白き木蓮 「月光」『穀物』第4号 ※朝(あした)

 に見られる「身」「皮膚」のような身体を示す語彙(他に「軀」「肉」など)、「みづから」「おのれ」のような再帰的語彙においても似た効果を見出せるだろう。これらは、作中に他に登場する語彙を改めて指し示す場合(「ひかり」→「身」、「ひと」→「みづから」、「おのれ」→「木蓮」)や、作中の主体を前景化させるとき(「身は濡れてながらふ」「皮膚すこしあざみに破り」)に用いられる。これらも、すでに作中に内在してあるイメージを、部分的に自らに重ねようとする所作なのではないだろうか。 

5.

 この文章は、これまで私が小原奈実の作品を読んできた中で、漠然と感じてきた印象を言語化するために書かれた些細なノートだ。
 昔、中学生の頃に古井由吉の散文を初めて読んだとき、その散文を読み進める営みと、その散文から喚起される情動が全く一体のまま進行していくという現象に初めて出くわし、このようなエクリチュールが存在しうるのかと驚いたことがある。古井由吉のうねり、のたうつ文体を追うだけで、私の脳は自動的に痺れた。エクリチュールそのものがレアリテの強度を持つという考えは、恐らくこの頃から感覚的に胚胎されていたようにも思う。言語を読む経験を、先行する他の経験の喚起や対照から擁護するのではなく、言語を読む経験それ自体の単純さから擁護すべきだという直観もまた、長らくあったようだ。
 この文章は、作品が生きてあるという、背理でありつつ、日常的経験でもあり、芸術論としてもとても古い話題から書き起こしているが、その議論に十全な接続を果たしているわけではなく、それは背景に沈んでいる。その接続のための膨大な作業は、私ひとりには担いきれないだろう。
 また、小原奈実の作品世界は、言うまでもなくこのような論点にのみ回収されるものでもない。なおも書くべきことはたくさんある*4。そのひとつが、「鳥」である。

  老いてわれは窓に仕へむ 鳥来なばこころささげて鳥の宴を 「鳥の宴」

 この作品は「鳥」の反復こそあれ、「鳥」にまなざしを留めているわけではない(「鳥」はまだ窓辺には来ていないのだから)。私がここまで挙げた作品で、小原の作品のモチーフとして最も重要な「鳥」が登場するのは、「カーテンに鳥の影はやし」と「雪に鶺鴒」の二首だけである。小原の作品における「鳥」は、この文章に記してきた「まなざしを留める」という方法論を突き崩すような、まなざしがそこに留まることのない、視界を素早く横切り去っていくもの、遠くあり声のみを聞かせ視界には現れないものとして、主に登場してきた。

  鳥去りて花粉散りたる花の芯ながく呼吸をととのへてゐる 「あのあたり」
  ほんたうにこの世は五月さへづりのそれぞれに聴く梢のたかさ 「蘂と顔」
  鳥を追ひそのまぶしさに眩むうち疎林のなかに眼を失ひぬ 「時を汲む」
  幹に手をあてて仰げど末たかくほとんど声として在り鳥は 「鳥の宴」 ※末(うれ)  
  鳥をおもふこころやまざり硝子戸に木漏れ陽のちぎれとぶ風の日を 「野の鳥」

 「鳥」はしばしばまなざしを逃れる。まなざしを逃れながらも、「鳥」を繰り返し作品世界に呼び込むのが、まなざしではない「こころ」なのであろう。すでに逃れ去ったイメージ、不在のイメージを「こころ」は追い求め、しかし不在ゆえにそのイメージが主体に経験されることはない。「鳥」は作品世界を幾たびも横断しながら、まなざしを逃れ経験をまぬがれる、作品世界の最たる他者として、慎重に、この上なく丁寧に愛されている。

*1:「運動」についての議論は、ここ十数年でトム・ガニングやトーマス・ラマール、畠山宗明らによって映画研究やアニメーション研究における蓄積が生まれつつあり、その前にはベルクソンからドゥルーズに至る議論も無視しがたく横たわっている。また、マンガ研究において鈴木雅雄が提起した「動いてしまうイメージ」も参照されるべきだろう(『マンガを「見る」という体験――フレーム、キャラクター、モダン・アート』鈴木雅雄編著、水声社、2014年)。芸術作品の「生命」については、ピュグマリオン神話、バルザック「隠された傑作」といった個別の物語にまつわるものだけでも膨大な言説の蓄積があるほか、ドイツの「生の哲学」(ディルタイジンメルニーチェなど)やフランスの「生気論」(ラヴェッソン、メーヌ・ド・ビラン、ベルクソンなど)も同時代の芸術論に影響を与えてきた(たとえば、短歌では斎藤茂吉の「写生」概念に「生の哲学」がたびたび参照されていた)。また近年では、イメージ学におけるヴァールブルク由来の「生命」、フーコーアガンベンの「生政治」の議論と芸術論の合流、ジェルからインゴルドらに至る人類学におけるイメージの「行為者性agency」をめぐる議論、イェーガーやバンヴェニスト以降の「リズム」概念の再検討など、この問題圏の言説はここ半世紀で増してきている印象がある。

*2:「結晶格子」「あのあたり」の時点では小原の作品は新仮名遣い表記だが、『桜前線開架宣言』(山田航、左右社、2015年)など再掲時には旧仮名遣いに統一されているためその方針に倣う。

*3:三句目のガラス器を中心にその前後に反復を伴う構造から、

  ゆふぐれに櫛をひろへりゆふぐれの櫛はわたしにひろはれしのみ 永井陽子『なよたけ拾遺』1978年
  ひまはりのアンダルシアはとほけれどとほけれどアンダルシアのひまはり 同『モーツァルトの電話帳』1993年

といった永井陽子の作品と似た構造を見ることも恐らくできるだろう(この文章では扱わないが、永井の「ゆふぐれに」の短歌は小原の小文「沈黙と権力と」(『短歌』2019年10月号)に引かれるところでもある。そこで語られる「沈黙」への志向は、後に記述する、情報を加算していくのではなく重複を積極的に取りこんでいく修辞への志向にも繋がるであろうが、その「沈黙」が、複数の修辞がせめぎあうポレモスとともに達成されていることに注意を払いたい)。しかし、永井のこの二首が「夕暮れに櫛を拾うこと/夕暮れの櫛が拾われること」、「向日葵の咲くアンダルシアが遠いこと/遠いアンダルシアに向日葵が咲いてあること」と同一の時空間の事象を反復させていることと対照させるとき、小原の作品の「てのひらのくぼみに沿ったガラス器/ガラス器を落とすてのひらが、そのかたちをなくす」という前半後半での時空間の非可逆的な進行は、永井の作品とは異なる毛羽立った感覚を私に残す。

*4:たとえば、小原の作品には、最初の方に述べた内的な感覚と外的な空間の境界を巡るモチーフの他、イメージ間の境界についても関心を払っているものがいくつもある。

  割れて桔梗に砕けて萩になりしもの雨に濡らしてしまへばしづか 「問ひ」『短歌往来』2014年12月号
  銀杏ふる 舗道と空のさかひなくことばがこゑへ還りくるまで 「声と氷」『本郷短歌』第2号
  夕映も葉影も羽の上にては鷺のしろさとばかり見てゐつ 「時を汲む」
  くちなしの花錆びそめてゆふぐれか朝かわからぬごとき雨ふる 「鳥の宴」

 これらもまた折り重なるイメージへの関心に起因するのではないかと思われるが、しかし「折り重ね」の語にこれらの作品を束ねられるかどうかは怪しいのではないかという印象もまたある。境界とはイメージがその末端において重なり合う場であるとともに、イメージが自らの輪郭を引き直し、隣り合うものから身を離そうとする場でもあるだろう。

攝津幸彦の階段、島の井の写真

 攝津幸彦の「階段を濡らして昼が来てゐたり」という句、……私はこの「濡らして」を、とても素朴に、昼の光が濡らして、の意に取っていた。この句の鑑賞文の多くは、なぜ濡れているのか、そこを巡って様々に紡がれていたように思うが、私には、攝津幸彦の他の句業まで見渡さずにいるときには、この階段だけがぽつりと、あたりまえのような昼の光のなかで、佇んでいるだけの光景のように見えた、光景だった……。

 ということを思い出していたのは、吉増剛造『心に刺青をするように』(藤原書店、2016年5月)の37番目の写真と文章、「島の井への下り口ーー沖永良部」を眼に映していたときだった。「段々が美しく濡れている」という文があり、島の井の女人(おんなびと)たちが桶を頭に載せて幅広の石の段々を上っている写真がある。この女人(おんなびと、……吉増さんの文章にあわせて括弧書きで読みを併記したり、「、……」という沈黙の前にかすかに息を止めるような読点の打ち方も試みているが、大きな牡丹に耳を寄せて、そのはつかな呼気(いき)を聴きとろうとするくらい、むつかしい、……)は段々を上っているが、おそらくは昼の、日の光が、その行く方から女人(おんなびと)も、石の段々も、濡らしながら下りていっている、……。この写真は吉増さんの作品でなく、(けれど、吉増さんは写真の上に宝貝を置いていて、置き去った指さきがかすかにまた、去った迹を残す光となっていたのでは、ないだろうか、……)綛野和子氏著、写真・芳賀日出男氏の『日本文化の源流をたずねて』(慶應義塾大学出版会、2000年3月)の写真のよう。吉増さんは宝貝以外に、折口信夫の歌を添えてもいる。


  島の井に 水を戴くをとめのころも。

  その襟細き胸は濡れたり


 攝津幸彦の「階段を…」の句について、小池光さんだっただろうか、たしか、この「昼」を女人の名前として読むような道すじを、示してくれている文章があった、朔太郎をやわらかく濡らす浦という女人の名も呼びよせて、……。私は、その文をはじめ、誤読だと思ったが、誤読の飛沫(岩成達也さんのことば、…)は、こんなところにまで飛びついているのか、……と。

 吉増さんの文章は論理を組み立てて、直線的に読んでいこうとすると、多くの石につまずいてしまう、と思った。この石道を、迂路をたどるような足どりでゆくこと、そのために吉増さんの呼吸(いき)を身体で、眼のさきで、指さきでなぞってみる、……そこから始めようと思ったのだった。

純粋なテクストというものは思考可能だろうか

 テクスト内とテクスト外との間に正確な境界線を引くことは可能だろうか。

 読みという営為が経験性に依存せざるを得ないということについて、以下の記事を読むなかで思い返すことがあった。


AI研究者が問う ロボットは文章を読めない では子どもたちは「読めて」いるのか?

http://bylines.news.yahoo.co.jp/yuasamakoto/20161114-00064079/


 読みという営為が少なからず経験性に依存せざるを得ないという事態は、あらゆる批評が印象批評にとどまらざるを得ないことを意味するだろうか。そこまでは言えないような気がするのだが、どうか。

 ただ、文化的背景や作者の情報からはっきりと弁別可能な、純粋なテクストというものを思考可能だと思うことは、ある危うさを含んでいるのではないか、という直感はある。

「まずテクストに則して読む」という態度がある。これは、テクストがテクスト外の情報から裁断されること、すなわち、作者がかく述べているから作品の価値は一意に決定される、あるいは時代状況がかくあるから作品の方向性はこれ以外あり得ない、などという暴力的な批評に対するアンチテーゼとして機能するのであれば、有効なものだろう。しかし、この態度が一つの規範として働き、作者や文化に対してテクストの絶対的優位性を語るようになるのであれば、それもまたいずれ否定されなければならないのではないか、と思う。その二つの間で揺れ動いてしまう、どうしても位置を定められずにいるから、ひとはテクストの快楽に耽ることができ、エクリチュールは郵便的な浮遊状態を抱えこんでいるのかもしれない、などとも思う。

 テクスト内とテクスト外が明瞭には弁別できないかもしれない、という留保を持った上で、テクスト外によるテクスト内の暴力的な解釈や、テクスト内によるテクスト外への抑圧に注意を向けることが、読むことの倫理としてひとまず要請されなければならないのではないか。

(けれども、このような思考もまた暴力なのだとすれば、どうすればいいのだろうか……)

 正常と病理との間に境界線を引かなかったジョルジュ・カンギレムは、その後どのようにして〈病理〉に向き合ったのだったか。テクスト内とテクスト外との境界線を引かない思考の後に、どのように〈テクスト〉を考えてゆけばよいのか、カンギレムから何かヒントを得られるかも知れない、などともぼんやり考えている。また、俳句同人誌『オルガン』8号に載っているという生駒大祐×福田若之の対談「プレーンテキストってなんだろう」も、もしこのあたりに関連する話題なのであれば、一度読んでみたい。

永田紅の歌集二冊

 昨日一昨日で永田紅の歌集を二冊、第一歌集『日輪』(砂子屋書房、2000年12月)と第二歌集『北部キャンパスの日々』(本阿弥書店、2002年9月)を読んだ。永田紅歌人永田和宏河野裕子を両親に持つ、短歌結社「塔」所属の歌人。兄の永田淳もまた歌人だというから、佐佐木信綱から昨年角川短歌賞を受賞した佐佐木定綱まで続く佐佐木家を別格とすれば、この永田家も凄まじい歌人一家だ。

 第一歌集『日輪』は文語体を主としつつ口語表現を交えるかたちで詠まれており、全体としてさほど無理のない表現で丁寧にまとめられている印象がある。巻頭一首目の「人はみな馴れぬ齢を生きているユリカモメ飛ぶまるき曇天」が有名だろうか。黒瀬珂瀾編の「ゼロ年代の短歌100選」(『現代詩手帖』2010年6月号)にも選ばれている。

 好きな歌を五首だけ引く。


  人はみな馴れぬ齢を生きているユリカモメ飛ぶまるき曇天


  対象が欲しいだけなのだよ君もガレのガラスをいっしょに見ても


  感覚は枯れてゆくから 明日君にシマトネリコの木をおしえよう


  遠景にデュラム小麦が満ちている日がきっとある君の冬汽車


  どこに行けば君に会えるということがない風の昼橋が眩しい


 「対象」や「感覚」といったいささか抽象的な語を使う印象もある。下の句で具体物が現れて抽象語に輪郭づけがなされるといったパターンが見られる中で、三首目は「枯れてゆくから」の後の一字空きによって順接が順接のまま宙に浮くような感覚になっていて面白い。「君の冬汽車」という隠喩的な表現もまた、上のような抽象語が置き換わったものとしても読めるが、全体を通してもこのような隠喩的表現は他にあまり見えず、例外的なもののようだ。また、「どこに行けば〜ということがない」というやや捻れを孕んだ、しかし端正な表現がひときわ心を惹いた。丁寧な文体の中でこのような順接の宙吊り、隠喩的表現、文の捻れが非常に魅力的に見えた。つまり、こういうものが私の好みなのだろう。

 第二歌集『北部キャンパスの日々』は1999年11月10日から一年間の日記体で編まれた歌集で、『日輪』を編纂している最中の永田紅の姿も見られるところが面白い。第一歌集ののちの第二歌集、というより第一歌集のアナザー・ストーリー的な性格を持つ歌集としても読むことができる。内容としては、日記体という制約のためか詠むモチーフは卑小な事柄にまで多岐に渡りつつ、文体もざっくばらんなところを多く孕むようになっている。こちらからも少しだけ引こう。


  ああそうか日照雨のように日々はあるつねに誰かが誰かを好きで

  ※ルビ:日照雨(そばえ)


  お互いに激せば激す桜草の花ちらちらと意識を占めて


  怒らせしままにて終わるやさしさを海岸線のように思いぬ


  ひるがおの睡りあふれてすきとおる唾液をたれもたれももたざる


日輪―永田紅歌集

日輪―永田紅歌集

歌集 北部キャンパスの日々 (塔21世紀叢書)

歌集 北部キャンパスの日々 (塔21世紀叢書)

『声ノマ 全身詩人、吉増剛造』

 今日は東京国立近代美術館『声ノマ 全身詩人、吉増剛造展』のカタログと桐野夏生魂萌え!』を読んだ。今日は吉増剛造展のカタログの方についてだけ、メモ程度に書き残しておこう、と思い、少し書いていたのだけれど、しかしこの詩人の"全身"の営為を既存の、私の凡庸な語彙・文法体系に収めて語ろうとすることに強い抵抗を覚えたので、一旦やめた。一、二週間程度メモに書きつけたのち、それを整理しながら少しずつこの詩人を語る言葉を自分なりに模索するという営みが必要なように思えた。この抵抗感は蓮實重彦が言う「羞恥」(『赤の誘惑 フィクション論序説』)の話に近い。

 詩人に対する最も直截的で優れた批評は、自身の詩作品であろう。批評がそれを異なる語彙・文法体系の中に収めて語るとき、何か決定的な去勢を通過しなければならない。しかし、むしろ、だからこそ詩の語り直しではない、一つの地歩を獲た批評が成り立ちうる契機がそこに生まれる。

 吉増剛造展のカタログには吉増の聲が収められた「聲ノート」のCDが二枚付録されている。吉増のエクリチュールがなぜ音読不能なレベルで記号の群れを纏わせていながら、しかし肉声の感覚を残しているのかが、このCDを聴くなかで感得された気がした。そしてパロールでたどり着けない聲に吉増はエクリチュールの手を伸ばしているのだろうか、とも少し感じた(ほら、こういう語彙がとても恥ずかしいのだ……)。昨年出た『心に刺青をするように』と『怪物君』も読んでからまた少し考えよう。


二月十五日、また猫の俳句

 起きてからしだいに身体を縛りつけてきた腹痛を抱えながら自転車を漕いでいると、腹中の臓器に鉄製の棘がついた糸をぴんと張られるような、冷たい痛みが縦横に奔っていった。すぐさま便器に座らねばならないというわけではなく、腹中が薄い刃で撫でられてゆくようにしくしくと痛むというだけなのだけれども。全天が青の素晴らしい天候のなか、悪寒に襲われてそれどころではない身体を縮こませながら自転車を漕いでゆく。「しんしんと肺碧きまで海の旅」(篠原鳳作)の碧のイメージには、どこか病みに病み果てたひとが持つ清澄な雰囲気に添うようなところがあるな、などと脳をかすめる関係のない思いもありながら。

 今日は堀本裕樹(文)×ねこまき(画)の『ねこのほそみち』を読んだ。他にも桐野夏生魂萌え!』を半分まで読んだり、東京国立近代美術館『声ノマ 全身詩人、吉増剛造展』をぱらぱらめくったりもしていたけれど、読了したのは一冊だけ。激しい排泄を経ても腹部がごろごろと鳴り続けるなど、違和感が確かな物質感とともに残っていたので昼寝することにしたら、午後五時頃まで寝続けてしまったのだ。『ねこのほそみち』は、三日前に読んだ倉阪鬼一郎『猫俳句パラダイス』に続けての猫俳句アンソロジーになる。

『ねこのほそみち』には堀本裕樹さんによる選句と解説文以外にねこまきさんによる漫画がついていて、この二つがあることで、一句の解釈や世界観が一つに定まらないでいるところが良いと思った。もちろん、誰も鑑賞の際に他の解釈を除外しようという意志を持ってしているわけではないのだけれど、実際のところ、鑑賞が文章だけなのと、文章と絵と二つのかたちが並列されてあるのとでは、読者の感じ方も自ずから変わってくる。

 本書と『猫パラ』で重複して取られている句を挙げてみると、記憶が正しければ「仰山に猫ゐやはるわ春灯」(久保田万太郎)、「内のチョマが隣のタマを待つ夜かな」(正岡子規)、「スリツパを越えかねてゐる仔猫かな」(高浜虚子)、「猫が舐むる受験勉強の子のてのひら」(加藤楸邨)、「恋猫の恋する猫で押し通す」(永田耕衣)、「黒猫にアリバイのなき夜長かな」(矢野玲奈)、「掌にのせて子猫の品定め」(富安風生)、「冬空や猫塀づたひどこへもゆける」(波多野爽波)となる(『猫パラ』はもう図書館に返却してしまったので正確性には少し自信がない)。ほとんどが当然欠かせない、といった大家の句だが、矢野玲奈の句がこの中だと新しいものとして比較的目立つようにも思う。作者としては津久井健之が『ねこのほそみち』でも『猫パラ』でも複数句取られていて、若手から中堅にかけての俳人たちーー私のイメージでは『新撰21』『超新撰21』『俳コレ』といった最近の俳句アンソロジーに収録されている人たちーーの中では猫俳句師範(?)といった風格を見せつけているのだけれど、句単体としては矢野玲奈の黒猫の句が新たな代表的猫俳句になっているのかもしれない。

『ねこのほそみち』にも『猫パラ』にも採られてはいないけれど、私個人としては「くさ色の思想を抱いて冬の猫」(寺井谷子)なんていう句もとても好きだ。猫は思想家のような顔をすることもあるけれど、それが「くさ色」という柔らかなもので形容されていて、「抱いて」だから眠っているのだろうか、静かに丸まっている「冬の猫」の、何も考えていなさそうだけど、やはりそれも一つの「思想」であることを示唆するようなすがたを頭に思い浮かべるたびに、少しだけ暖かな、やわらかな気持ちになることができる。

 今日はあと眠る前に吉増剛造の「聲ノート」のCDを聴く予定。中後期の吉増剛造は、正直言って私にはなかなか読めない詩人なのだけれど、しかし言葉が読めるという認識自体、私にはどうしても錯誤を含んだ判断のように思えてしまう。なぜなら、少なくとも私は、今まで読んできたどのような文章にも、「読み尽くした」と言える自信などないからだ。読み尽くした、と言えないなら、やはり読んだ、理解した、という言ってしまえることには、ある種の欺瞞や錯誤が入りこんでいるような気がする(そのことにこだわり過ぎると日常生活に差し障りがあるから普段は気にしないことにしているのだけれど)。私には吉増剛造の詩は読めないけれど、それは同時に、言葉のどこか本来的な、裸のすがたにも見えてくるから、この詩人の営為を難解だと言って切り捨ててしまうこともできないでいる。

ねこのほそみち ―春夏秋冬にゃー

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アルルカンの挨拶

 今日はバレンタインデーだが特にこれといった用事もなく二月半ばの夕暮れが部屋をかすめてゆく。夕闇というほどの厚みをもたずに、透かせばその奥に光の在り処を指し示す半紙のようにうすく広がりながら、しかし気づいたときにはもう夜の闇の内側に取り残されている。一月の時間が淑気を含み砂糖のように流れていくのに対して、二月はとても薄く研ぎ澄まされていて、三月の甘やかさの前にそなえられた氷のようだ。

 バレンタインが二月の半ば、立春を過ぎ暦の上で初春にあたる時期にあることは、どこかとてもよろこばしいことのような気がする。もしかしたらいまの人々にとって、桃の節句よりもバレンタインの方が春の訪れを迎えいれるための儀式として機能していて、賑わっているのかもしれない、なんていうふうにも思う。


 今日は三橋聡『アルルカンの挨拶』を読んだ。荒川洋治が運営している出版社、紫陽社から出ている詩集だ。このブログの題名の由来にした詩句も、この詩集の「競技場にて」という詩に載っている。この詩人については何の知識も持っていなかったのだけれど、詩人の松下育男さんがTwitterでつぶやいているのをたまたま見て、インターネットで購入した。衝動買いだったわけだけれど、すくなくとも後悔はしていない。小さくて良い詩集だと思う。ちなみに、『アルルカンの挨拶』はグッドバイ叢書というシリーズの一冊目みたいで、その二冊目が松下育男『榊さんの猫』になるようだ。


  そして、そんなふうにぼくを忘れてくれたらいいのだ

  ぼくはちょっと停ち止まって、かるいくしゃみをしているだけなのだから

  (「木の肖像」部分、『アルルカンの挨拶』)


  そして、いちばん単純な場所から

  ついにはひきあげることのできないわたしを

  わたしは木を眺めるように考えることができるだろうか

  (「木を眺めるように」部分、同)


「木の肖像」から始まって「木を眺めるように」で終わる、二本の木に挟まれるかたちのこの構成はきっと意図的なものなのだろう(初出一覧を見る限り、詩の並びは時系列順ではない)。すっと持ちあがるこの軽くて小さな詩集が蔵する世界もまた小さくて単純な場所だけれど、その中で詩の主人公たちは、その世界のいちばん白い部分を見つめようとしている。

アルルカンの挨拶

アルルカンの挨拶