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アルルカンの挨拶

 今日はバレンタインデーだが特にこれといった用事もなく二月半ばの夕暮れが部屋をかすめてゆく。夕闇というほどの厚みをもたずに、透かせばその奥に光の在り処を指し示す半紙のようにうすく広がりながら、しかし気づいたときにはもう夜の闇の内側に取り残されている。一月の時間が淑気を含み砂糖のように流れていくのに対して、二月はとても薄く研ぎ澄まされていて、三月の甘やかさの前にそなえられた氷のようだ。

 バレンタインが二月の半ば、立春を過ぎ暦の上で初春にあたる時期にあることは、どこかとてもよろこばしいことのような気がする。もしかしたらいまの人々にとって、桃の節句よりもバレンタインの方が春の訪れを迎えいれるための儀式として機能していて、賑わっているのかもしれない、なんていうふうにも思う。


 今日は三橋聡『アルルカンの挨拶』を読んだ。荒川洋治が運営している出版社、紫陽社から出ている詩集だ。このブログの題名の由来にした詩句も、この詩集の「競技場にて」という詩に載っている。この詩人については何の知識も持っていなかったのだけれど、詩人の松下育男さんがTwitterでつぶやいているのをたまたま見て、インターネットで購入した。衝動買いだったわけだけれど、すくなくとも後悔はしていない。小さくて良い詩集だと思う。ちなみに、『アルルカンの挨拶』はグッドバイ叢書というシリーズの一冊目みたいで、その二冊目が松下育男『榊さんの猫』になるようだ。


  そして、そんなふうにぼくを忘れてくれたらいいのだ

  ぼくはちょっと停ち止まって、かるいくしゃみをしているだけなのだから

  (「木の肖像」部分、『アルルカンの挨拶』)


  そして、いちばん単純な場所から

  ついにはひきあげることのできないわたしを

  わたしは木を眺めるように考えることができるだろうか

  (「木を眺めるように」部分、同)


「木の肖像」から始まって「木を眺めるように」で終わる、二本の木に挟まれるかたちのこの構成はきっと意図的なものなのだろう(初出一覧を見る限り、詩の並びは時系列順ではない)。すっと持ちあがるこの軽くて小さな詩集が蔵する世界もまた小さくて単純な場所だけれど、その中で詩の主人公たちは、その世界のいちばん白い部分を見つめようとしている。

アルルカンの挨拶

アルルカンの挨拶